43. 互角の戦いの行方
昔から神様も自分の住みかを手に入れるために相当な努力を払ったようだ。
奈良に都を移すとき、時の権力者・藤原氏は氏神を三笠山に鎮座させようとしたがすでに榎本明神(猿田彦)が住んでいた。そこで不比等は巧みに替地を与えて追い出してしまって藤原氏(中臣)の氏神を祀る春日神社を建てた。榎本明神は新居がイヤになり、故郷に戻ってみると春日神社に全部とられてしまっていて住む場所がない。やむなく神社の門前で召し使いのように暮らすはめとなってしまった
───こんな話はなんとなく歴史をくすぐるようで微笑ましい。だが現実のドラマとして、パレスチナの神とイスラエルの神との間でひとつの住みかをめぐっての骨肉の争いは、そうすんなりと折り合いのつくものではない。
神と人間との橋渡し役(中臣)というべきムハマンドの「弱気になったり絶望はするな。アッラーを信じているかぎりお前たちは必ず勝つ」(第3章139節)という啓示を信じ、イスラエルとの間でひとつの椅子を30年間も争い続けてきたカリスマ的指導者アラファット。そのアラファットも激動のうちに肉体のパーツが摩滅してしまい、ついにアッラーに養われる身となった(同じく第3章169節ではアッラーを信ずる者には死はない、アッラーに養われて生きるのだとある)。
そもそも2千年前におれたちヤハウェの民が住んでいた土地なんだ、と米英の後押しで世界に分散していたユダヤ人が集まってきて、前から住んでいたパレスチナ人を無理やり追い出してイスラエルを建国してしまった。パレスチナ側にしてみればいまさら同じ椅子に肩を抱き合って座ることなんかできるはずがない。こうなったらそれぞれ信ずる神の加護の下に聖戦とやらを戦い抜くしかない。アッラーの啓示どおりパレスチナのイスラムが最後に勝利するか。モーゼの言うように最後の時にメシアが現れてユダヤ人だけを救うか。
中東の平和を取り戻す鍵といえるこのパレスチナ戦争は先の先住権か?既得権か?と同様にまたまた互角の戦いといえるのかな。両者がそれぞれの神に対する正義感と何分かの憎悪感を併せ持つ普通の戦争心理状態の内ならばまだ歩み寄れる可能性は模索できただろう。しかしここまで正義感が消えうせ、憎悪と報復が互角にエスカレートしてしまうと、全てが互角であるがゆえに出口が塞がれてしまっている。
こうみてくるとアラファットの死は本当の意味でのノーベル平和賞に値するかもしれない。現にこのチャンスをシャロン氏はすぐさま捉え和平の手を打ち出してきた。この動きをバックアップしてパレスチナ問題を打開する役割はどこが担うだろうか。おそらく大陸内のEU諸国の一部となるだろう。
世界的にその精神的権威を落とし、ヨーロッパとのパイプを失ったブッシュ氏は?
彼はますます肩をいからせ、O脚を開いて踏ん張るだろうが、案外もろいかもしれない。それに荒削りの権力むきだしの米英型押し付け民主主義はもう通用しないんじゃあないかな。