自笑庵:ともやの時おりおりのメッセージ

HP~スペインの大地とその心を描く~澤口友彌の世界でつづったブログ (2003 - 2011 年)

44. 庶民事情の断片

昔からスペインの個人商店はよく入れ替わったものだが最近は特に目立つようになった。

2ヶ月間ほど家を空けている間に自分の生活圏というか、感覚的にスリッパで出かける範囲内でも「おっ。1年以上も続いたのについに閉まってしまったか」と意外な閉店。なかにはこれは仕方ないと思える店など様々なんだが、とにかく2~3店は閉店や入れ替えがある。

わしは首都マドリーの衛星都市、人口20万ほどの庶民のまち暮らしが長い。隣ブロックで雑貨屋、今流で言えば小スーパーを営んでいた無口なおじさんの店にはたしか3~4年はパンを買いに行っていた。ところが同じブロック内にチェーン型スーパーが店開きし、これはおじさんの店はだめじゃろうと思っていたら、案の定、なんの予告もなくスーッと消えてしまった。その後、おじさんは小大人のオムツ店、雑貨に近い化粧品店と場所も商品も替え、最後にはバル(立ち飲み風喫茶)を試みたそうだがついにこのまちからいなくなってしまった。

スペイン人はカトリックの教えというか、中世以来、金を扱う仕事はユダヤ人かアラブ人に任せ、ある種の侮蔑(ぶべつ)感情を抱いていた。ところが今では公務員に次いで商い志向は強く、なんとか資金のやりくりがつけばすぐに店を開く。

というのも、いまだに近代的商業感覚なぞ身につけていない個人商店は薄利多売や顧客サービスなどに気をくばらなくても少し売れば大もうけができた。仕入れ値の5割増が売値、商品知識は未熟でも並べておけばそれなりに売れる───こんな商いには魅力があり、つい羽振りのよい商売をまね、商いの環境など研究調査は素通りにして店開きをしてしまう。だから開店で知り合いが付き合いで来てくれる期間が過ぎた頃には即閉店。1年持ちこたえればまあ頑張ったなとわしは見てきた。

そこへスペイン資本だが新規にスーパーが踏み込んできて四苦八苦。それも突如として外資系大型スーパーに総なめされてしまったのだが、今でも依然として個人商店は土午後・日曜は休日の権利を主張し、大型店舗には圧力をかけて休日開店日数を年間18日ほどに押さえ込んでいる。善悪は別にして、このような時代に即応しきれない前近代的な商法は破綻するのも時間の問題だろう。

現実的には日本でいう100円ショップが中国人経営で急増している。全商品は100円とは限らないが売り切れたら同じものが即入荷する。サイズ・色などの違う商品の品数も多い。安くてもどんなものでも使用できる。出来に手抜きがない。…など、わしらの感覚ではしごく普通なことながら、スペイン人には驚異的な出来事となる。わしの生活圏内でも1店増えて2店になるほどの人気だ。また路上販売(テキ屋)者の侵食もなかなかと活発だ。

今から30年ほど前はスペインでのテキ屋の世界は日本人が取り仕切っていた。億を超える商いをしていた。しかし商品は自家製の耳・首飾りで、東洋色を生かしたものだったので地元商店には大きな実害は与えなかったようだ。ところが今アフリカ人のテキ屋さんたちは海賊版CDやソックス・ベルト・ハンドバック・傘・ショールなど地場商店と競合する商品を取り扱っている。また季節や天候などに応じて即売感覚で対応するのでそのシェアは拡大中だ。

一応テキ屋商売は違法である。テーブルクロスほどの布の四隅から四つ手網のように紐を張り、その上に商品を並べている。取締りの警官が来ると紐を引き上げ、自動的に布包みになった商品を肩に担ぎ、おまわりさんがいなくなったら再び布を広げる。両者とも馴れ合いならば、お客の方も心得たもので、売買の最中でもそ知らぬ顔で警官の通過を待つ。

わがモストレス市は中南米・モロッコおよびそれ以外のアフリカ、東欧などからの移民や季節労働者が多く、人口の2%ほどを占めている。場所によっては一クラスの半数は外国人という小学校もある。こうなってくるとかれら外国人のニーズに合わせた生活用品、とくに食料品が必要になる。また文明化?か合理化か、味は二の次の手抜き食品の流行で商人も庶民も対応できない物(者)は自然淘汰されてしまうだろう。

いまや「らしさ」を失った無意味乾燥の時期を迎えたようだ。

天然栗 castañas (c) Tomoya's World 2004

天然の山栗。
フライパンに金魚鉢の底に敷く小石混じりの砂を1cm以上の厚さに敷く。その上で最初は強火、後は弱火で途中一度裏返しをして15分ほどで焼き上げる。猿かに合戦にならないように(!)焼く前に切り込みを忘れないこと。うまいよ! castaña (c) Tomoya Sawaguchi 2004