自笑庵:ともやの時おりおりのメッセージ

HP~スペインの大地とその心を描く~澤口友彌の世界でつづったブログ (2003 - 2011 年)

28. 待つことを待ちたくなる心境

人・物事・順番などがくるのを望み、頼みとして時を過ごすことを「待つ」の意として岩波国語辞典には出ている。しかし望み、頼みがなかなかやってこないと「待ちわびて」イライラし始め、ついには「待ちぼうけて」しまいぼんやりとあきらめに近づく。

この段階まで辛さ、怒りをじっと我慢することができるようになれば、ある一面でスペインに同化したと自負してもよいだろうとわしは常々思っておる。何気ないそぶりでそっと腕の時計をみる。もう10分はとっくに過ぎておる。

午後の開店時間一番にDPE屋さんに飛び込んでみると、危惧に反し順番待ちのお客さんは3人しか前にいなかった。やれやれ、今日は早く受けとれそうだ、とほくそそえんだのも束の間。最初のOL風の娘さんが受けとった写真に見入っていてカウンターの前を離れないのだ。

だれしもDPE屋さんでは胸を躍らせて写真を受けとるものだ。受けとるやいなやペラペラと早送りして自分のものか、そして枚数を確認し代金を支払って店を出る。これが世界に通用する写真の受けとり方だと信じておるが、さにあらず。OL嬢はカウンターにしがみつき、思いにふけりながら1枚1枚念入りに見つめてゆく。最後にホッと一息してからハンドバックをカウンターの上に置き、ゴソゴソかき回して財布を取り出し、お金は店員の手のあくのを待って直接手渡す。つり銭がくるまで再び写真に見入っているので、店員もおつりを手渡すタイミングを待つ…。ここまではあきれ返りながらもギリギリの許容範囲といえるであろう。

ところが上には上がおるんや。次のお客、高校生風の女の子は写真を2回3回とくりかえし眺めまわし、同伴の友だちに「○○ちゃんに送るのはどっちがいい?」とか「××君のこの顔見て!」とか「これは何枚焼きまわししたらいいと思う?」などと、自分たちのいる場所を完全に忘れ去りキャッキャやっておるではないか。この日も当たったか…と深いため息が出た。店員さんは慣れたもので、お金も支払ってもらわなければならないし、カウンターの向こう側で辛抱強く待っている。不思議なことに、わしの後ろに続く順番待ちのお客さんたちもイライラと焦りも見せない。しごく自然体でいられるスペイン人のすばらしさにまたまたわしはため息をつく。

自分の意志で待つことにはさほどの苦痛は感じないものの、「待たされる」となるとどうも辛抱がなくなってくる。子供の頃から待ちなさい、我慢しなさい、と口癖のようにしつけてくれた両親のおかげでわしは少しばかりは人よりも辛抱強いことを自分なりに誇ってきた。だがここに来て堪忍袋の緒が切れそうな衝動に襲われることがまれにあり、なぜなんだろう、歳のせいかと悩んでいた。

そうや、今ここまで書き進んでフッと頭に浮かんできたねー。この「堪忍」がわしを待てない人に変質させようとしておるのだ、と。堪忍するということは「他人の過失を許す」という意味も含まれる。また「許す」とは認めたり聞き入れたりしてやる行為で、換言すれば、相手より上位に立った場合の心の動きである。スペインでの永住が許され、長年の暮らしで同じ釜の中の住人たちに「何をもたついておるんや!」と見下すようなおごり高ぶった感情が、わしの内で芽生えてきておるんや。これは生きざまの問題であり、早いこと芽を摘みとらねばと真剣に思う。