自笑庵:ともやの時おりおりのメッセージ

HP~スペインの大地とその心を描く~澤口友彌の世界でつづったブログ (2003 - 2011 年)

26. 食べてこそ完結

スペインは狩猟のメッカで、英仏などからハンターがこの時期になるとけっこうやってくる。

彼らは猟場近くの国営ホテル(=パラドール)などに泊まりこみ、地元の案内人と犬を雇っておいて朝はゆっくりとコーヒーを飲み、婦人も20番の細身の銃を携えてさっそうとグループに加わってゆく。なにか映画の中の貴族をほうふつとさせる雰囲気がある。そういえばわしと同い年の国営ホテル第1号館(グレドス山脈の北麓)は王様の狩猟用建物が元やったな。ここセルベーラ村 のもスタンドの支えやソケットなどに狩猟道具を模したデザインとなかなか凝っている。

しかしこちらといえば、今はオフシーズンで安料金、おまけに国営ホテルの友の会みたいなものの会員でポイントを溜めればただ泊りもできるので連泊していると、その日は案内人だけで犬が来ていない。尋ねてみたら「今日は鳩がいくらでもいるので犬は不要だね。時間があったら来るか?」ということで出かけてみた。

そうしたら山の中の原っぱで次々と籠から鳩を飛ばし、それを狙って撃ちまくるわけ。撃ち落した鳩は見向きもしないではしゃいでいる。なんじゃ、こいつら!?ただ殺すことを楽しんでいるだけやないか。やっぱり南蛮紅毛か!と昔言葉が飛び出し、このあたりがこの人たちの本音かとガックリときた。

イスラムキリスト教のような一神教では自分たちの神以外は認めない。絶対神だから神に対する善悪は絶対で、融通が利かない。つまり、神が善と認めた聖戦は相手をどれほど虐殺してもなんら心に抵抗がない。だから宗教戦争はおそろしいのだ。これほど神の絶対性を信じる一神教の人たちが、人間社会での善悪は相対的なものと決めている。そしてこの考えが利己性と結びつくと、自分に都合がよければ善、都合が悪ければ悪ということになってくる。

灯油ほしさに日本近海まで来て、鯨を絶滅寸前にまで追い込んだ黒船の歴史をもつ連中が、やれ鯨だ、イルカが可哀相だ…と自分たちの持ち合わせていない社会習慣など認めようともせず、ヒステリックに騒ぎ立てる。その前に、まだ歴史にはなり切れない生々しさがある祖先たちのやった事柄を反省してみたらどうだ!と言いたくなる。

以前に 『スペイン通信』No.15で触れたが、NHKも放映したというスペインの世界文化遺産の中での「ローマ時代の金山」。あれは何万人とも知れない奴隷を酷使しての、人類の自然破壊の見本のようなものやろうと思う。だから自然保護だ、文化遺産だと誠しなやかに言われるほど、どうもストンと腹に落ち込んでくれないから、しょせん人間なんてこの程度の生き物よ…と逃げることにしている。

マドリーでは毎週金曜日に"Jara y Sedal"という狩猟と釣りのTV番組があり、けっこう多くの人が猟犬の美しい姿と技、猪や鹿と猟犬との駆け引きを楽しんで観ているようだ。わしもそのうちの1人なんやが、人間の本能としての狩猟や釣りなどは、最後に獲物に感謝しながら祝杯を挙げて食べてこそ許されて完結する殺生ごととわしは思っておる。だから、釣りあげた魚を死ぬほど痛めつけておきながら、また水に戻してやるのは、何とも人間の勝手な行為というか、偽善めいていて、わしは腑に落ちない。