自笑庵:ともやの時おりおりのメッセージ

HP~スペインの大地とその心を描く~澤口友彌の世界でつづったブログ (2003 - 2011 年)

29. 匂いも臭いも好き好き

スペインを1ヵ月間ほどあけていた。マドリーの国際空港バラッハスに降り立ち、荷物受取場に入ったとたんに「はー。マドリーに戻ったんだ」と生き生きと感じたものだった。歯切れのよいスペイン語と馴染みっぽいスペイン人のつくりだす雰囲気などはもちろんのことながら、なんといってもその主役は「におい」だと思う。

スペインに住み始めた頃、少なくとも4、5年はこのにおいは「臭い」だった。ところが今では、ちょっとオーバーだが「匂い」に近いものに変わったからどうしようもない。具体的にどんなにおいと問われても答えようがないが、強いていえばニンニクとオリーブ油の香りにネグロ煙草と腋臭の臭いがミックスされたようなもの、と表現するのが妥当か。

いま「匂いと感じるほどに変わってきた…」と書いたばかりだが、これはあくまでも感覚的なもので、このにおいを嗅ぐと脳の中枢が刺激されてホッとした安堵とゆったり感に包まれ、思わず一息吸い込んでしまう。

大学でスペイン語を専攻した友人のMも「あのにおいを嗅ぐと、日本を発つときまで口がこわばって話しにくかったスペイン語もスラスラと飛び出してくるんだから、私もまったくスペインにはまってるんだなあ」と昨年、仕事の合間を見つけて心のリフレッシュに来西し、好物の豆料理を食べながらつぶやいていたものだった。どうもわしらにとってはスペインのにおいは安上がりのアロマテラピーで、精神安定へと導入してくれる暗示剤のようだ。

香り・芳香というとわが国では華道、香合わせ、茶の湯がある。生け花と同じく一定の文化理想をよりどころとした遊芸の世界だった。しかし香りやにおいに関する文化としては、ヨーロッパほど実生活に直結した歴史的習慣は少なかったように思われる。

アロマテラピー(芳香治療)は古くギリシャ・ローマ時代から盛んに行われていたことはよく知られているように、ヨーロッパ社会では自然の芳香を鼻から取り込んで心身の活性化を図った。リラックスのために活用してきた伝統は根強く、スペイン社会でも芳香と不快なにおいが入り混じって民族の個性と雰囲気をつくりだしている。

日本の食文化もようやくピレネー山脈を越えてイベリアの大地にまでたどりついたようで、最近ではSUSHIは名前だけでも知れ渡ってきた。味噌汁と漬物を食べる通も出現してきたが、イカの塩辛と納豆は顔面蒼白で、いつになく丁重にこちらの勧めを断ってくる。このわかりきった反応を見るのもまた楽しい。あの独特な発酵のにおいが受け入れられないようである。

わしら日本人は、よほどの悪天候のとき以外は朝起き上がるとまずは窓を開け新鮮な無臭の空気を室内に取り込むならわしがある。この習慣は無臭がさわやかで心地よいということだろう。一方、歴史的に芳香浴などといって部屋中に「におい」をまき散らしてきたスペイン人は、窓を開くかわりに好みの芳香剤スプレーやオードトワレなどをふりまく。いやなにおいを押さえ込むためにより強力な「におい」をふり散らすという発想はいかにもヨーロッパ的だ。

ある日、スポーツクラブでエアロビクス教室からでてきた顔馴染みのおばさんたちに出合ったとき、悪酔いするほどの香水の匂いに包まれながら気軽に「スペインのにおいって何かなあ」と尋ねてみたら、全員が地中海のオレンジの花、ほうき木の黄色い花、ラベンダー等々とためらうことなく花の名前を挙げた。ホセ・マヌエル・ソトの歌の文句にも「タイムとローズマリーの香り漂うスペイン…」とある。感覚として基本的にはさわやかな「におい」が好きなんだなーと無理やりに自分を納得させた。