自笑庵:ともやの時おりおりのメッセージ

HP~スペインの大地とその心を描く~澤口友彌の世界でつづったブログ (2003 - 2011 年)&その他

10. 長崎原爆記念日に

イラク戦争以来「文明の衝突」という言葉を頻繁に耳にするようになったねー。

思い起こせば、最高に蒸し暑かった敗戦時、わしは旧制中学の3年生やったと思うが、学徒本土防衛要員の1人として三八式歩兵銃と実弾を抱えて名古屋に来ておった。岐阜県立斐太中学校から駆りだされた蛸壺要員3名のうちの1人で、東海地方に米軍が上陸してきたとき、海岸に穴を掘って爆薬を抱えてひそみ、敵の戦車に体当たりする自爆要員やった。それで主食代わりの煎り大豆を噛みながら敗戦を知ったというわけ。

負け戦となることは1年ほど前から自分なりに感じておったので特別の感慨はなかったけれども、戦争中は敵勢言語として授業が少なくて救われた思いをした英語の時間がまた増えるだろうということが一番嫌やったように記憶している。

虚構であったかもしれないが、第二次世界大戦は、文明の衝突というにおいが青臭い書正論として飛散しそこなった千切れ雲のようにわしの脳の片隅に残っている。

厳しく自分を問い詰めてみれば、わしら戦争体験者は例えその当時少年であったにもせよ、戦争を食い止める力になれなかったことはある意味での加害者やろう。そんなことからもわしらは、戦争を知らない人たちに、戦争はどんな理由があっても絶対にすべきではないということを言って聞かせる義務があると思う。

イラク国民の解放、民主化の実現、人道主義とかで、相手をならず者呼ばわりする驕り高ぶった超ならず者たちが、自分の都合でごり押しに攻め込み、どんなに詭弁を並べ立てようが、一方的に殺された人たちは絶対に生き返らないんやよ。アメリカの建国精神はもっと崇高だったようにも見えたんだが…。

奪い取ったチェスの駒は忘れ去られる。将棋の駒のように何回でも活かして使う日本的発想とは根本的に違う「皆殺し」の思想がそこにはある。チェスの発想が欧米人の遺伝因子に焼き付けられているんじゃないかと学生時代から考えておったが、今また再確認させられるようで実に不愉快でならないねー…と崩れた見張り塔の日陰でこのエッセイを書きながら、またもやスペインの中南米侵略の歴史が頭の中に浮かんできた。

えっ?どこの見張り塔って? 詳しくは『スペイン通信』No.10にて!