自笑庵:ともやの時おりおりのメッセージ

HP~スペインの大地とその心を描く~澤口友彌の世界でつづったブログ (2003 - 2011 年)

37. この夏

毎年8月になると思い出す事柄がある。

第二次世界大戦中、労働力として中国大陸や朝鮮半島から軍部によって強制連行というか拉致されて日本へつれて来られていた人々は10万単位で数えられるほどいた。

そのうちのほんの一部、八路軍の兵士が岐阜県の神岡(船津)鉱山でモリブデン(MO)を掘り出していた。そして敗戦と同時に高山市の旅館へ戦勝国中共軍として分宿し、わしの通っていた県立斐太中学(現・斐太高校)の施設を使って軍事教練をやるため毎日100名ほどが行進して学校にやってきていた。

ある小雨の日、わしらが武道館の剣道場で体育の授業で出席点呼をしていると、道場の入口でなんやら大声を張り上げた中共軍の兵士がいた。

と、言葉はわからないが、体育の先生に入口できわめて丁寧におじぎをしてから道場の反対側の角へ走りこんできた。わしらの前の時間にかれらも道場を使ったらしく、その兵士はうわっぱりをおき忘れていて、それをとりに来たのだった。

兵士はうわっぱりを拾うと、よつん這いになって自分がいま入ってきて汚した足跡を、そのうわっぱりで拭きとりながら後ずさりで入口まで戻った。そこで正座して両手をついて、深々と頭を下げてから急いで飛び出していった。

あっという間の出来事だったが感動したなあ。戦勝国の軍人が、負けた国の少年たちにとる態度としてはあまりにも偉大だった。その後、この一事がわしの世界観の片隅に確固とした居場所を占め、いつの間にか居ついている。

ついこのあいだのサッカーアジア大会。中国観衆から野次やらそしられて憤慨していたのをみると、蒸留水のように締りのなさのなかでいくぶん熱気を感じさせた。とはいえ、わしのように戦争中にかれらの祖父や親たちがどんなあつかいを受けたかをほんの一部分でも自分の目でみて知っている者には身を切られる思いだった。

それにひきかえ、春ごろだったか、「エロ演劇」のまねごとをやらかして批判された不出来な大学生たち。かれらは疑問を感ずる理性さえ持ちあわせていないみじめな若者たちとしかいいようがない。

まあ、これらの問題も今はやりの政治的解決でケリをつけてしまうのだろう。この駆け引き、辻つまあわせ、まやかしともいえる政治的解決に日本独特ともいえる馴れ合いと陰湿さが加わると、今年の広島の平和運動のように純真な人たちはいやになり参加者が激減したりする。

また厚生省の役人が見返り金を受け取ったり、自動車の欠陥隠し、歯科医師会とかの金くばりなど、こちらのテレビ・ラジオ・インターネットなどで知らされると、年毎に肩身がせまくなってくる。

そういえばつい先日、公機関に書類をパソコンから拡大表示をしたままの状態でファックス送信したのだが、それがどうも継ぎ合わせると日本の新聞の半分ほどの大きさになる何枚にかになって届いたらしい。折り返し電話をしてくれた相手は「あの書類は大きなサイズですね」というので「はあ、B5ですわ」と答えておいたんだが、あとになってハッと自分の失敗に気づいた。迷惑をかけたなーと反省しながらも「けっこうばかでかい大きさで着きましたよ!」とはっきり言ってくれたら「ああ、申し訳なかったですねー」と明るく気軽にやれるものを、とバカくさくなったものだった。

スペイン人がよく言うように、日本人は礼儀正しいが陰気だということをわしも感ずるようになってきている。相手のメンツかなにかを傷つけないようにとの配慮かも知れないが、言葉だけのボカシが見え見えの日本社会は不毛な神経の浪費と陰湿さが目立つ。

そうかと思えば、アフリカなどで鉄砲の丈ほどしかない少年が踊りながら得意げに自動小銃を乱射している姿。そんな武器をやたらと売り込んでおきながら民主化だ、食料だ、医薬品だと人道主義を口実にもったいをつけて与えてゆく。こんな陰陽さまざまに集団的発狂してしまったような正鵠じゃない政治的な世の中。
なんとかならんもんかい。

もう一度あの少年時代のすなおな感動に出あえたらと切実に願う夏であった。

higos 2004

夏の味その2「イチジク」 higos (c) Tomoya Sawaguchi 2004

晩夏のイチジク