自笑庵:ともやの時おりおりのメッセージ

HP~スペインの大地とその心を描く~澤口友彌の世界でつづったブログ (2003 - 2011 年)

38. ふつうのTVでも純スペイン製で観戦したいよ

今日はテニスコート大改造で測量にきていた監督に、アテネで女子ダブルスが日本に大勝したことを我がことのように威張られた。そしていつものことながら、言い古された次元の低い発明、真似論議から文明論にまで発展した。

「日本はまねて金持ちの国になった」
「そりゃ、真似できる能力をもっていたから真似もできたんだし、より便利と能率を日常性のなかに取り入れようと次々と改良してきたんだ」
「スペインは潜水艦もヘリコプターも発明したんだ…」
「原理を発明しても、人間生活に直結したモノとしてつくり上げなければ文明じゃないよ。このあいだガリシア地方沖で沈んだタンカー( →メッセージ No.14 参照 )も、そこまで潜る船がなくて外国から助けてもらったよなあ」
彼は感情が高まり、
「日本は真似文化だから一流じゃあない……!」
「一流、二流の問題じゃなくて、まねができないからスペインは外国に17億4300万ユーロ(1ユーロ=現在約140円)もの特許・発明使用料なんかを支払っておるんじゃないか」
「あんたは造る人。おれたちは使う人」
「造る能力と使う能力とでは格段の差があるよ!」
おたがい言いたい放題で別れてきた。

わしは国粋主義者ではない。国家なんて勝手につくり出したもので、しかも19世紀頃からの新概念だ。グローバルな観方をすれば、人類の未来をスムーズに展開してゆくためにはむしろ抵抗となるものと考えているくらいだ。しかし悲しいかな。浅薄なわしは、スペイン人から日本の事柄で理不尽なことをいわれると、愛国心か自己弁護みたいなものが胸にこみ上げてくるのを拭いきれない。調子よく国家や企業の後光効果に悪乗りして、つじつまをあわせているありさまだ。

幼児は親のやることをまね、伝写することから人間として歩みはじめる。児童は先輩たちをまね、コピーすることによって社会生活を学んでいく。考えてみれば、DNAの伝写によって細胞は増殖して人間そのものができあがっているんだから、生あるものはすべてコピーの連続作用によって生きながらえているわけだ。社会現象としても、第三革命というデジタル社会はまさにコピー社会と言い換えられるんじゃあないかな。

これを国際社会に当てはめれば、原図をつくりだす先進国。その原図をみてコピーできるのが発展途上の国。ただしコピーに要する時間の長短で上中下にランク付けもできる? 原図をみてもコピーできなくて、もっぱら輸入に依存し使うだけの国もある。

アナログ時代とは異なり、かくして下克上は不可能に近い時代が21世紀の前半ではなかろうか。デジタル社会が進み、文化・文明も1か0の組み合わせの記号で把握されるようになれば、世界の言語も共通な記号となってくるだろう。そうなれば、今わしが苦しんでいる、日本語がおかしくて何をいっているか理解できないパソコンのマニュアル本に腹を立てることもなくなるだろう。そして「使う人」にあまり威張られなくてもすむだろう…(!)

自尊心過剰。人に習うことを嫌い、形(形式)だけを取り入れたがるスペイン人気質の標本を今日もまた見せつけられてしまったが、あの監督さんも今ごろは心穏やかに苦笑しておるだろうに。これでまたひとり仲よくなれるやつが増えた。