自笑庵:ともやの時おりおりのメッセージ

HP~スペインの大地とその心を描く~澤口友彌の世界でつづったブログ (2003 - 2011 年)

39. 外からみつめて

外から日本を眺めているとしばしば気持ちの流れがドシンと岩にぶち当たる。先ごろもロシアの学校占領事件の実況放送を苦々しく見つめてきたが、事件がなんとも表現のしようすもないずさんさで一段落した。

テロ側(?)で生き残ったひとりの若い捕虜の取り扱いも放映された。捕らえられたその若い兵士は後手にバンドで絞り上げられ、2人のロシア兵がその腕の下から肩までそれぞれに片腕を差し入れ、いかめしく護送してくる。捕虜は肩を支点に後手を高くこじ上げられ、直角に体を折って痛さに耐えTVの前へ押し出されてきた格好だった。

一連の中東での戦争、捕虜虐待などと合わせ考えると、人間の残虐性、もっと単純にいって「国・民族・思想・宗教」のうちたったひとつだけ異なっても人間はあれだけ残虐になれる生きものなんだ。国が違う、宗教が違うなんてくだらないことで戦争も虐殺も正当化される人間社会の恐ろしさにますます筋肉までが硬直する思いだ。

ところが捕らえられた若い兵士のことを海外向けNHKラジオが「テロ側で生き残った若い兵士が取調室に連れてこられ、『私にも子供がいる。今回はかわいそうなことをしてしまった…』と言葉は不正確ですがこんな感じのことを語っていました」と放送した。
NHKだけではない。日本社会全体がきれい事でその場その場を通過すれば納得しなくともよいらしい。醜いもの、身につまされる事柄からはあえて目をそらすのが豊かな文化人のノーブルな生き様のように思い込んでいるんじゃないか、と勘ぐりたくなってくるほどだ。

スペインはいまが新学期。友人の娘も大学生になった。彼女が受験をするときに両親との話し合いをわしは聴いていた。
「大学に進学した方が自分の将来によいと思えば大学へ行け。授業料その他必要経費は親が支払ってやる。ただし卒業して給料取りになったら毎月給料の5分の1は親に返金せよ」
親は一流会社の部長で高給取り。その環境ですらこのような厳しさを娘に対して要求する。現実に即したしつけは実にあっぱれだ。

スペイン人は子どもの頃から「自分は自分以外に誰も支えてくれない」という個人思想を徹底して教えこまれるので、高校生ともなれば独立意欲は強くなる。他へ手は広げないが自分のやるべきこと、進むべき道はしっかり判断し踏まえているようだ。これは人間社会の厳しさ、醜さをありのままに子どもの頃から見聞きし、自分でも経験してきた結果なんだろう。

反面、日本はどうだろう。
「申し訳ありません。二度とこのような問題が起きないよう……」という日本語は聞き飽きてしまったはずだったんだが、またまた先だっての関西東海地方の地震で「コンピューターの操作ミス」とかで肝心な情報が届けられなかったと知ってあきれ返ってしまったねー。
そりゃあコンピューターの世界なんてまだまだ不安定。色・空間・形など人間の微妙な感覚表現ならばいざ知らず、集めて情報を流すというコンピューターに一番適した普通の使い道で失敗するなんて、仕事に対する緊張感と真剣さの欠落もはなはだしい。

おなじ仕事仲間、同集団内でのなれ合いとナアナア主義。あたかも相手を尊重したような振りで「あなたがそう言われるんですから大丈夫でしょう」ということで実際は自分が実践するべき点検を手抜きする。そんな甘さを内々では通用させながら外部者には冷淡で陰険とすらいえる公機関の職員や企業人。地域開発、村おこしといえば民宿、新しいみやげ物や食べ物が主流という俗っぽさ。若い女の子は食べ物を満足に食べないでカプセルを6種類も、もっと飲んでよしとしている。

外から見ているといまの日本はこんな風に目に映ってくる。どうもこのあたりで精神構造の転換をやらないと、日本人のもっとも嫌がる東南アジアにも追い越され、いつまでたっても世界の人々からも密着してはもらえないだろう。ブラジルのマラソン選手のさわやかさを我々も取り戻したいものだ。