自笑庵:ともやの時おりおりのメッセージ

HP~スペインの大地とその心を描く~澤口友彌の世界でつづったブログ (2003 - 2011 年)

47. どこも役所は同じかな

NHKラジオの海外放送はこのところ朝日新聞との間でおらが村に難癖をつけた…と狸と狢(むじな)の中傷劇で無駄な紙面と時間を浪費している。まったく読聴者は蚊帳の外でおかまいなしだ。

組織内や職場の内では組織人として全員が守らなければならない共通のマニュアルがある。これは強制力があって自分の好き勝手や個性を盛り込む余地は認められない。さらに、これをすっぽりと包み込んでしまうほど、職種や職場内での責任の軽重などによって積み重ねられたより膨大な暗黙の了解事項がある。大ざっぱに言えば、それぞれの常識に裏打ちされた没個性の約束が自ずから出てきているのが筋と思う。

今回の中傷劇は、世の中ではインテリに分類される知識人同士が公私混同、勘定合って銭足らず、おらが村意識丸出しで、「これもまたか」と年明け早々から活力をむしり取られる感じだ。

そういえば最近友人が届けてくれた小包の中に『バカの壁』(養老孟司新潮新書)という本が入っていた。1年ほど前に出たものらしいが、朝日・毎日・読売各誌で大絶賛とあったので日本活字に飢えたわしはさっそく飛びついて驚いてしまった。社会の仕組みの中の人間の生き様と、個人としての人の生き様がまるきり区別できていない。要点をようやく引用すると……

マスメディアのおかげで言語だけではなく多くの人間は同じシーンを見、共通の情報を受けるようになった。この共通了解が多くの人と理解しあえる手段だとすれば、それが発展していくことは自然の流れである。ところがそうした流れに異を唱える動きがある。「個性」の尊重というのがそれで、文部科学省もことあるごとに「個性」「独創性」の豊かな子供を作るとか言っている。これは共通了解を増そうとする文明の発展に逆行することで、「個性」が大切だとか何とか言うのは話がおかしい……

養老氏の考えでは共通了解の増大が社会の発展に必要であるということだ。これだと社会の中に個人は埋没させられてしまう。世の中を構成する基本は個人(個性)が主体である。個人間の衝突を避けるために、お互いが守るべき最低限度の共通了解事項を決めていくのがもっとも平和で人間的な社会だ。それが否定されてしまうことになる。そして共通了解事項は正義であって、なにかきな臭いにおいすら感じられる。

また「個性豊かな精神疾患者」(P43)……私自身マニュアルを読む気もないし、そんな気はない。なにか乾いた昆虫の交尾器を抜くのに家庭用の漂白剤を使うが、こんな手順はマニュアルにもないし、こうしなければダメだとわかっている……(P47の要約)など、極端で独善的だ。

……だから、アラブとイスラムの考えはわかるけど、そういう『個』というものを表に出した文化というものは必ず争いごとが起きている……(P49-50)のように理解に苦しむ文もある。小泉首相が教育レベルの低下を心配するのも納得できるような気がする。

そこへいくとスペインの大会社では就業規則にしたがって命令にも順序正しく作動し、仕事上の上下関係や分担責任も厳しい。

そんな怖い社長が仕事を終えて帰宅する女性事務員と偶然にいっしょになったら、ドアを開けてやり事務員を先に通す。事務員の方もなんら悪びれもせず堂々と先に通って帰っていく。お互いが私人として接している。

こんな風に公私が当然の事ながらはっきりと区別された社会に住んでいると、どうも日本社会はラーメンをすする時も肩書きを背負っているようで窮屈だ。

でも帰国した折に「仕事上の名刺で申し訳ありません」と断りながら控えめに出される名刺は嬉しくちょうだいできるねー。こんな人は仕事上で名刺を出す時はおそらく公人の立場で堂々とした態度のとれる人なんだろう、と考えると救われる。

sonrisa (c) Tomoya's World 2005

今日のショット「いい笑顔」
一番いい友を連れ、一番にやってきた。
早春のいい日和に、一番にいい気分で、一番にいい笑顔。
(c) Tomoya's World in Spain 2005