自笑庵:ともやの時おりおりのメッセージ

HP~スペインの大地とその心を描く~澤口友彌の世界でつづったブログ (2003 - 2011 年)&その他

16. 食いしんぼう

人間、歳を重ねると、どうも食い物には意地汚くなるもんかねー。

50代では毎日スペイン飯でも別に抵抗がなかったんやがな。60代になった頃から、1週間ほどの予定で取材の旅に出かけると最後の頃には米のご飯が食べたくなってきて、精神的にも腹のすわりが悪くなってきておる。こうなると絵の仕事に即ひびいてきて、題材から受ける感動や衝撃、立ち向かう迫力みたいなものに刃物のようなシャープさがなくなり描こうとする対象物の欠点、わかりやすく言えば、一番処理の難しいところばかりが気になってきて挑戦力が落ちてくる。その辺のところを1~2日支えてくれるのが塩鱈料理なんじゃなぁ。

塩タラは中世以来、内陸の貴族や教会関係の支配者たちのみが味わえた、まさしく特権階級の食べ物だったようだ。基本的に肉と豆という一本調子の重い食生活に、さっぱりとした鱈は新しい活力の源泉だったことやろう。わしには、2日以上は水をかえて塩抜きしてトマトと煮込んだもの、それとグリーンサラダの組み合わせがよいようや。

しかし最近は5日ほどで逃げ帰ってしまう。人間の業というか弱さは、生まれ育った子供の頃の食生活に結局は戻してしまうのかな。梅干やひね沢庵で生き延びてきた山育ちには一杯のお茶漬けで腹に力が入ってくるのだから不思議なもんやね。

そういえば同時にアップしたトップページのスケッチにも「タラの着く村」とメモったなー(⇒スケッチ掲載ページへ)。教会のあった村へ、延々と幾百キロもの道をロバの背で運ばれてきた塩鱈。村の通りにも教会へ通じる小路にも「鱈通り」なんて名が今でも残っておるのよ。教会権力に対する庶民の当てこすりの名じゃな。まあ、有名な鱈料理に教会起源が多いのも納得してもらえそうやね。