自笑庵:ともやの時おりおりのメッセージ

HP~スペインの大地とその心を描く~澤口友彌の世界でつづったブログ (2003 - 2011 年)

58. 素直に感ずること

先週末の夜、マドリー市内の繁華な通りグラン・ビアに出かけた。週末の夜というのは2年ぶりだった。日本からの旅行者の知人の日程に合わせたわけだが、自分なりの心理状態としては街に出るのが一番いやなときだ。

遊び好きなスペイン人は金・土に集合住宅から街に湧き出てくる。22時ごろを境に家族連れは減り、若者たちが急増する。

女性の社会進出、少子化、放任、バブル等々の現象が重なり合って若者たちがマイカーに乗れるようになった。かれらは車の少ない車線をジグザグと縫うように猛スピードで追い越してゆく。左ハンドルの社会だから追い越しは左車線と規定されているが、近頃の都会では右側を追い越したり、ウィンカーを出さないやからが目立ってきた。若者の事故率が高いので保険料も当然割高となり、十分な保険加入なしで乗り回すから被害を受けたらたまったものではない。また街中ではやけっぱちか痴呆的な高笑いが響きわたり、うろんな目つきで電車賃をくれ、たばこを1本くれ、ディスコ代をくれ…と若者が手を出してくる。

嫌悪感というものは理屈ではない。好きだったものがある時点から急にイヤになるものだ。片意地で独善的なわしは、近頃だらだらした若者の集団になんとなく嫌悪感を抱くようになってしまい、できるだけ彼らとは接触したくないというエゴと公憤への退化に気づいている。自分自身気になるものの、嫌いなものはキライと金・土の夜は外に出なくなった。

新しい現象としては、親に反抗して自制心を失って叫ぶ女子高生や若者の声を近所でも耳にするにようになった。隣人の娘さんは高校で1浪して大学の機械科に入学したが、2年生への進級が難しくなって再度文学部1年に編入した。彼女を見ていると、中学卒業以来、金・土曜日はまずシャワーを浴び、マドリーの夜の街に友人と出かけ、最終の地下鉄でわが町に戻り、ディスコで過ごして午前3時ごろに帰宅している。毎週欠かさずのことだ。ウィークデーは夜中の外出こそはしないが、これでも学生か?と思えるほど勉強からほど遠い生活をしている様子。この点、アルバイトでブランド物を買うかディスコで騒ぐかの違いはあっても、勉強しないことが板について久しい日本の方がやはり先進国のようだ。

未成年者の犯罪の増加も同様に思えるが、スペインの生活紙OCSニュースによると最近の2年間で未成年者犯罪が61%も増加したようだ。傷害、万引き、器物破損などほとんどの項目で増加している。世の中が豊かになったせいか、カーラジオの盗犯や、注意を喚起するTV放映に力を入れたのでひったくりが減少したというものの、収容所不足で入所のウェーティングリストすらあるようだ。でも保護観察、更正施設通いなどの他、奉仕活動、週末謹慎という処分があって、ちょっと明るさを感じさせてくれる。

マドリー市内のカラバンチェール地区にあった有名な刑務所が他へ移転した時、住民は地域のイメージアップにつながると大喜びをした。理屈抜きの住民の素直な感情はこれまた素直に受け入れられたことだったが、反して日本の伝統文化を商品化する村や町おこしには一抹の哀れさを拭いきれない。その町おこしにマグロに替えて刑務所の誘致運動をやるところまで現われたと聞くが、重要な部分で日本伝統文化の一翼を担ってきた「お月様が見てござる」的な罪の意識がなくなってしまったのか?!とさえ思われてくる。単純に「間違えたら弁償すればよい」と無機質的に割り切ってしまう欧米の感覚を安易に取り込むことは、あまりにも日本はその素地が少なすぎて中途半端ではなかろうか。
山陰のある県が犯罪者の氏名を公表すると発議したら、ものわかりのよい弁護士とかが憲法違反だと物言いをつけたが、わしはこの県の提案を安易な時流に抵抗する真摯な姿として評価したい。

以前にも触れた事柄だが、犯罪者の人権は弁護士までつけて完全に保護されているのに引き換え、被害者の方はなにか落ち度でもあったように勘ぐられ白い目で見られる日本社会はどうもいびつで剥製のように温度が感じられない。ところがスペインでは犯人(容疑者)が自宅で逮捕され護送車に乗せられるとき、周囲の住民が罵声を浴びせながら犯人に詰め寄り、張り飛ばしもできないので興奮のあまり護送車を蹴飛ばしたりする。そんな純朴な感情の表現は見ていても人間くさくて、体温を感じさせてくれるものだ。