自笑庵:ともやの時おりおりのメッセージ

HP~スペインの大地とその心を描く~澤口友彌の世界でつづったブログ (2003 - 2011 年)

64. ああ、天然色

いま色に悩んでいる。色といっても艶話ではない。

指定された256色以外でも名前のついている色ならば最近は安定してきたそうだが、、自分のパソコン上で表現できたお気に入りの色が他人のパソコンでどのような色調で再現されているのか?ということが気になって仕方がない。

自分の基本にしたい色が変色して再現されてしまうのならば、当然にバックの色や線や文字の色まで変更し、最悪の場合はデザインまで変更しないとバランスが悪くなってしまう。

また特に最近はデジカメが携帯にまで内蔵されたせいか、A機はB機よりも緑の発色が自然だとか、フィルムカメラはホワイトバランスができないから不自然な色になるとか、さまざまな宣伝や論評記事が目につくようになった。

そこで色を扱っている者の端くれとして自然の発色とはなにか? 一口に言って「自然の色」とはなにか?についてちょっと言ってみたくなった。

しかし光学的な波長だとか熱力学的学問などではなく、日常的なデジカメのレンズを通してCCDで受け合成された色。直接人間の目が見て知覚する色。絵の具やインクの色。それらの違いみたいなものを大づかみに釈迦に説法を恐れず考えてみたいと思う。

お日さんの光は人間の目には虹色の色だけが混じって入ってくる。そのうちでとくに赤・緑・青を3原色と呼び、これを適当に混ぜ合わせることでテレビ・パソコン・デジカメの液晶画面などでカラー表示されているわけなんだが、この3原色は混ぜるほど明るい色になり、最後は白になる。ところが白にするためには光源の種類(外光条件)によって混ぜる割合が異なってくる。たとえば太陽光が白になる割合と蛍光灯や電球の光とでは、それぞれ別な割合で混ぜないと白にはならない。これがデジカメでいうホワイトバランスだ。

一方、3色材といって赤・黄・青があり、これはインクや絵の具の色で物理的に塗ることでできる色のこと。3色材は混ぜれば混ぜるほど3原色とは逆に黒に近づく。カラーコピー・インクジェットプリント・印刷などはこの3色材でできあがっているから、デジカメ写真を液晶画面で見たときとプリントアウトした時とでは色味が異なってくるわけだ。

普通の小型デジカメは画面に映った範囲内の物の色をすべて混ぜ合わせて自動的に白にする(オートホワイトバランス)ように造られていると思えばよろしい。

太陽光だけに対応する自動ホワイトバランスを組み込んだものから、照明の下、曇天のときのホワイトバランスを設定記憶させておいて、その場で切り替えることのできるものもある。言い換えれば、電灯の下では実際は白は白には見えないが、それを白に撮影できるようにする、ということだ。

日常の生活ではさまざまに外光条件は変化し、太陽光だけでも季節・時間・晴曇と千差万別に変化する。当然ホワイトバランスは異なってくる。そこで高級デジカメになると、いくつかの外交条件の異なった場面でのホワイトバランスの元になる光(色温度)を計測し、設定しておいて多くのホワイトバランスの例を自分で作っておくことができるわけで、ほんの少しだけ人間の感ずる色合いに近づくといえるかもしれない。

光学的に黄色の波長が反射する黄色と、人間が目で見て認識している黄色は同じではない。そうしたらどちらが正しい黄色かとなってくる。これが難題なんだ。色を文字で表現すれば限界にぶつかって嘘になってしまう。文字で表現できないものを色や形で表現しようとする絵描きには、人間の感ずる色が正しい色と思っている。

人間が認識できる色は、個人差はあるが色度レベル(色相と彩度。つまりどんな色でどのくらいの鮮やかさか)でいえば何万色もあるそうだが、目から入力された色が電気信号になり、脳に伝わり、脳はその受けた色を補正して異なった色として認識する。だから人間が「脳で色を見る」といわれるゆえんは、見ている環境や条件、心境によって異なった色に補正してしまうからだ。

同じ色でも面積の大小・濃淡・明暗などによって知覚は異なってくるし、補色(反対色。たとえば絵の具を混ぜると黒・灰・白の無彩色になる一対の色。赤と緑。写真のネガとポジなど)や補色の残影現象(赤色を見ていて目を白に移すと青っぽく見える)にも影響されるので、分光器のように正確な判別はできない。

この識別能力や色彩認識能力は個人によっても年齢によっても差は大きい。いきつけのラーメン屋の看板はたしか黄色だったはずだが、部屋に戻ってくるとなぜか再現できないように、人間の色彩記憶能力はまったく当てにならない。だから自分の目でとらえた自然色がデジカメやモニターの色調に転換されてしまっても識別できなくなってしまう。

換言すれば、各個人が持っている固有でしかも無限大のホワイトバランス風なものによって発現された色味が、その人の自然色といってよかろうと思う。

ちなみに日本製デジカメはフジフィルムの色調を基礎にしているから曇空でも青空に近くなり、欧米ではコダックフィルムの色調だからオレンジ色がかってしまう。自然色とはこんな安易な、誰にでも共通した色ではないのだ。

肉眼で心を込めてじーっと風景を見つめる人をついぞ見かけなくなってしまった。すぐにデジカメを取り出し、興奮気味に構図なんかばかり考えるのか、ウロチョロしながら気に入れなきゃー削除すればいいさ、、、とばかりにシャッターを切る。記述してきたように調整されてただ光り輝くような明るい画像をパソコンのモニター画面で眺め、「この自然の美しさ…!」なんて感動する世の中に移ってしまってきたかのようだ。

自然には輝きもあるが醜さも影の暗さもある。色のばらつきがある。それぞれの色に力があるーーーーーこういったものは見捨てられ、美しい見やすさだけを求めた色彩革命が、どうもきれいごとで通り過ぎようとする社会感覚と同調して、ついそこまで来ているようで、あえて心眼で自然を見つめている。