自笑庵:ともやの時おりおりのメッセージ

HP~スペインの大地とその心を描く~澤口友彌の世界でつづったブログ (2003 - 2011 年)

34. 庶民の誇り

自分のたちまわる部屋のテーブルの上や本棚、食器棚の横…と、どこにでも老眼鏡がころがしてある。全部で10ヶは超える数であろうが、まともな代金を支払って眼鏡屋さんで買った品は2ヶだけ。他はすべて100円ショップ商品で面白半分で買ったものばかりだ。選び方が上手なのか、けっこう使えるもんだからつい買うのが楽しくなってしまい、帰国すれば2ヶは増えるというわけ。

100円ショップは数年前に弟から聞いて覗きにでかけて以来病みつきとなって、時間をつくりだして立ち寄るというか、自分の行動日程の中に半日ほど組み込んでぶらつくことにしている。すでに数店舗は覗いたんだが、こんなまともな物がどうして100円で売れるのか?材料、生産、流通、その上もうけまで積み重ねたらどう考えてもわしの頭では100円をオーバーしてしまう。その辺の推理をたのしみながら見てまわるだけでも時間を忘れさせてくれる。この自分だけの真空の時の流れが楽しいのだ。

そういえば、2年以上毎朝ミルク沸かしに使っているアルミの片手鍋も100円商品。しり漏れしないし実に使い勝手がよく、木の柄もいまだに微動すらしないスグレモノ。

日本で生活していれば、まず商品として売っている物は特価品であろうが高級品であろうがすべて使えるというのが当然な社会だから、100円ショップ商品が使いものになってもさほど感激はないかもしれない。だがここでは買ったままで不都合のない商品はなく、どこか手直ししなければ使えないのがふつう。少なくとも工具や大工道具、接着剤は生活必需品であり、いまだに鍋の取手直し、アイロンのコード直し、ゴムパッキングの寸法直しなどなど、なんでも修繕屋が重宝される環境にある。こういう社会に住んでいる者からみると、100円の手工芸品、老眼鏡、日常雑貨などほとんどの商品がまちがいなく使えるすばらしさに感動とともに敬意すらもってしまう。

安物は安物なりにその価格に相当するものの、完ぺきさをそなえ、それなりに使えるという日本の伝統的庶民文化の質の高さはやはり世界一じゃあないかなー。