自笑庵:ともやの時おりおりのメッセージ

HP~スペインの大地とその心を描く~澤口友彌の世界でつづったブログ (2003 - 2011 年)

52. 国民投票の重み

なんとなく予想していたように、フランスに次いでオランダでもEU基本法憲法条約)は国民の意思によって承認されなかった。

思い起こせば、ヨーロッパ鉄鋼共同体のようなものからECに発展し、日米の経済発展に対抗するために、精神的統一、その必要性の理解という土壌の造成も不十分なままEU構築に向けて見切り発車してしまった(拙著『エスパーニャ!』1997年人間社刊の第8章スペイン雑記で言及)。

もちろんEU内での南北問題はかなりの摩擦として存在し作用しながらも、スペイン・ポルトガルギリシャなどはEUからの援助金で道路・貧村・農業から文化遺産までも整備されてきた。取材に出かけると、道路や村の工事現場にはEUからの援助金による整備事業だという看板がいたるところで目についたものだ。最近はやや少なめになったものの、こんな段階でEUはさらに援助の必要な東欧諸国を抱え込んで拡大し、将来的にはトルコまで視野に入れている。

こうなれば労働賃金の安いわりには生産性と労働の質が高い東欧へ向けて企業は進出し、移転も盛んとなり、EU内の北諸国の労働者は今まで以上に大きな不利益をこうむるわけだ。そこでこのあたりの取り決めも含んだEUの最高法規である基本法の成立に労働者を中心として反対投票をするのもヨーロッパ個人主義の発想からすれば至極当然な結果だと思う。

目をスペインに向ければ、むしろ基本法が成立することによって今まで受け取っていた多額の援助金は3分の1に減額され、13年ごろからは打ち切られてしまう見通しだ。それにもかかわらず、スペイン国民は早々とこの2月の国民投票で65%ほどの賛成でEU基本法を承認したことの方がわしにとってむしろ意外であった。その上EU統合の充実のためには、すでに持っている自国の憲法の上位に位置づけられるようなこの基本法が拡大・縮小解釈もされず、政治的作為もほどこされず、素直に国民投票に問われ、その結果を国家の意思として決定した態度は当然なこととはいうものの、立派な政治姿勢だったと思う。

残念ながらベルギーは少し急ぎすぎてつまずいてしまった。月半ばのEU会議までは必死の対応が模索されるであろうが、わしにとっては円に対して統一通貨ユーロがどこまで下がるか?も生活のかかった大きな関心事だ。

近隣諸国からはソフトで穏便な国として適当にあしらわれ、自浄能力すら失ってしまったような日本も、なんやら憲法の条文の書き換えに本格的に動き出しているようだが、これだけは無条件で直接国民投票で決定すべき事柄である。理由は明確。「憲法は国を治める側、すなわち政治をとる側を拘束する法規であって、国民が決定するもの」だからである。これ以外のいかなる便法も、ましてや国会議員や地方自治体の長などに代表権を与え、その賛否で決定できる筋合いのものではない。


原理的に考えれば、議員は半数プラス1人の得票で当選できる。もし全議員が半数プラス1人で選出されていると仮定すれば、議員の3分の2の賛成を得たとしても、直接的には国民や県民の100人中35人の賛成しか受けていないという理屈が成り立つ。だから憲法改正(悪)に国民投票を省いてもよい……というような考え方は極めて反憲法的で、そのこと自体が政府や議員の権限外の事柄であって、政府に委託された研究会の答申なんて何の意味ももたない。

憲法以外の法規ならば治める側が治められる側を規制する役目をもった法規なんだから、治める側に立法・改正などの権限は与えられている。だが憲法はこれとはまったく別な種類の法規であることを銘記する必要があるだろう。このあたりが曖昧にされているので「憲法の条文の補足などは一般法でやればよい…」なんて無茶な発言が大臣や議員の口から出るわけだ。

秋頃には改正(悪)の文案が出るようだが、直接国民投票で決着をつけるのが憲法の道理であるという筋は堅持しなければならないと思う。