自笑庵:ともやの時おりおりのメッセージ

HP~スペインの大地とその心を描く~澤口友彌の世界でつづったブログ (2003 - 2011 年)

56. カンカラ社会の夏

チャンバラ小説を読んでいると有相無相の虚実の構えで「すき」をつくらない…と剣の道を説いている。別に剣豪じゃなくとも、今流にいえば人間は眼に見える行動と、その行動を心で支えることで「すき」をつくらない生き様ということになるわけだろう。この夏は有相ばかりで無相をなくしての幕引きとなりそうだ。「人生これお祭り」のカーニバル社会がいよいよ濃厚になってきたということだ。

人口の希薄な遊牧社会から生い立ったスペイン人は、遠くの人と話さねばならんので話し声は大きく、そのまま定着した。西や北のヨーロッパでもスペイン人の大声は有名なんだ。

そんな彼らが夜の12時ごろから動き出して、そのへんの公園や空き地で満開ボリュームのロック、ジャズコンサートをやたらと繰り広げる。そして嬌声や狂声を張り上げて、うじ虫を連想させるように体全体をくねらせて夜中の3時ごろまで踊りまくる。一応都会では午前3時までの規制はあるようだが、いなかではどさ周りの楽団が夜明けまで騒音で攻めまくってくる。取材に行ってそんな夜にぶつかったら眠りは諦めるより仕方がない。

2年前頃から規制し始められたボテリョン条例も有名無実。若者たちは所かまわずたむろしての深夜街頭酒盛りを続けている。ごみは撒き散らし、蛮声と喧嘩をまじえて、これまた夜明けまで展開してゆく。

わしの住まいは日本流にいえば7階。1階にはアフリカ人が最近バル(喫茶飲み屋)を開店した。金・土・日の早朝暗いうちから20人ほどのアフリカの人?たちが集まってくる。この人たちはスペイン人より一段と大声だ。かれらの言語に馴染みがないわしは、どうもこの振動数の不規則な大声には心が乱されて飛び起きてしまう。周辺の住民もたまりかねて警察に電話するのだろう。たびたびパトロールカーは来るが、騒音迷惑防止条令などはないので大声だけでは取り締まれないらしく、イタチごっこがくり返されている。

その点、日本人は声量がないから歌手や若者が張り切っても迫力がなく、こんな時代には救われるだろう。

一方では、とっくに若者を通り越してきたような男女の何百人もが、自由や二酸化炭素削減を名目としてスッポンポンになって街頭で寝ころび陽光をいっぱいに受けている。
科学的真理は政治的多数決で左右されるものではない。中世の頃には今より地球の温暖化した時代があり、グリーンランドで農耕が営まれた歴史は二酸化炭素ばかりでは解明されないだろう。ここまで考えた上でのスッポンポンならば、厳寒の2月にでも遠慮なく大の字になってメイン道路で寝そべってくれ、といいたい。

日本の選挙もやたらとマニフェストなんてカタカナを使っているが、立派な日本語があるのにカタカナ語を使う人は、なんかまやかしがあるようにわしは勝手に昔から判断することにしている。MANIFEST の本来の意味は単に政見発表、明示でしかない。そのことを知りながら選挙公約と訳した人の意図は妙である。

日西ともにこんな態は心を伴わない上滑りで、蹴っ飛ばせば歪み変形しながらどちらでも転がっていく。ただ騒々しいだけのカンカラ社会(缶空)が主流になったようで、外出もよいが家の中でじっくりと考える時間を模索することもお互い必要なときのようだ。