自笑庵:ともやの時おりおりのメッセージ

HP~スペインの大地とその心を描く~澤口友彌の世界でつづったブログ (2003 - 2011 年)

72. 年賀状さまざま

日本で投函された年賀状の拝受もようやく完了したようだ。

わしにとっては30年来、毎年決まって10月1日頃の消印で船便の年賀状がY氏から届く。いまから20年前頃はプラムやアーモンドの花が咲く今時に配達されていたものだ。それが年毎に早くなってきて今年は松の内に対面できて感動だった。EU加盟で諸現象が改善され、郵便物の受け取りもなんとか到着をあてにして待つ許容範囲内までアップされてきたんだ。

Y氏にはなにか深い哲学があって、賀状の印刷された富士山の写真は毎年同じ。なかのメッセージもモンブランのような太字で青インクと定まっており、語句もほぼ一定。その上、船便という趣に心を打たれ、「Yさんもご健在で…」と自然に賀状を頭上に捧げてしまう。

法外者のわしには時間の拘束がないから、年末の20日頃から新年の1月25日頃までの約1ヶ月間は、今日の分はこれだけよ…という感覚で毎日配達人がくるのをワクワクして待っておるわけ。元旦に紐や輪ゴムでくくった賀状を受け取り、なかば焦りながらまずは差出人の名前に目を通すのとは一味違った感動というか、待つ楽しみと「やっと着いたか」の安堵感。配達の終了日が迫ってくるにつれて高まってくる「なにかあったのでは?」の緊張感。その一喜一憂の1ヶ月間でもある。

賀状の語句だが、同年輩の方々からのものが多いせいもあって「長老と呼ばれる歳」はまだわかる。が、最近は「三十路」だの40代で「初老」とか「大台に乗る」などとなんやら老け込みを連想させる言い回しが目につくようになった。モンゴロイド系は成長期間が長いので欧米人と比べると若い顔つきをしているんだから、お互いに年寄りじみた因習からボツボツ抜け出したいもの。

宛先はさすがに横文字書きしてある。わしの氏名を漢字で書いてくださる人は意外に多いが。「様」「殿」と表記される方もある。「殿様」は、江戸時代に勃興した商人が、逆に借金漬けになってしまった武士階級を軽んじ侮って二文字に分けて宛名書きに使ったのが事の始まりらしい。

複雑な敬称表記などに気配りする必要はなく、単に住所氏名だけで十分だとは思うのだが、なんといってもわしにとって今年の最高賞は「さんへ」だった。ここで拍手喝采で喜べないのがわしの悪い癖で、ついイチャモンをつけたくなってしまう。

昨秋、飛騨路の神岡町の道の駅に立ち寄った。さすが神岡と思ったのは、売店の一隅に宇宙素粒子ニュートリノ関係の解説や展示場が設けてあったことだ。雰囲気に浸かっていると、キャンキャンとうるさい5、6人の女子大生が入ってきた。最初に大声で仲間たちに呼びかけたのが「ヨーコってなに?」だった。たとえ作文と面接だけで入学したとしても、そして内容が十分に理解できなくとも、会場の様子から「ようし(陽子)」とぐらいは読めるだろうにと唖然としてしまった。

どうやら「さんへ」と同様に、常識論以前の問題を抱え込んだ社会が独り立ちしていくようだ。年寄りの冷水ながら行先不明の不安感がつのる年明けだった。

 兄弟記事→ともやのスペイン通信第43号「年賀状」